帯と着物のザ・ゴールド発寒店キャシです。
今回は高級ブランド Hermèsエルメスについてのお話しです。
1837年、ティエリ・エルメス高級馬具の製造工房を開業したことが始まり。
その後、自動車産業の躍進・馬車文化の衰退といった時代背景に伴い、その上質な皮革を使用した
鞄や財布などをつくり出す皮革製品事業に転身。
そして今では世界に名を残す有名ブランドとなりました。
創業者、ティエリ・エルメスは、1801年、現在のドイツ・クレフェルドに生まれる。
1867年、第2回パリ万博の馬具部門で銀賞を受賞。(ちなみにこのときの銅賞はルイ・ヴィトン)
1878年の第3回パリ万博では金賞を獲得。
1880年、2代目のエミール・シャルル・エルメスがブティックを現在のフォーブル・サントノーレに移転。
従来の製造・卸だけでなく、顧客への直接販売も開始する。
1892年、馬の鞍を入れるためのカバン(サドル・バッグ)「オータクロア(haut-à-croire)」を発売。
なお、オータクロアが原型となり、縦横比を変えて誕生したのが「バーキン」で、
女優のジェーン・バーキンににちなんで名づけられた。
バーキンがボロボロのカゴにたくさん詰めこんでいる様子を見て、気軽に何でも入れられるバッグを作りたい
と考えたのが着想だという。
バーキンの誕生は1984年で、オータクロアの登場から100年近く後のこととなる。
1900年、後に3代目となるエミール・モーリス・エルメスが、ロシアのサンクト・ペテルブルグへいき
ロシア皇帝ニコライ2世へ馬具と鞄の売り込みに成功。
これを機に世界的な馬車商に発展していく。
20世紀前半、アメリカで車の普及が始まると、自動車時代の到来を予見し、エルメスは徐々に馬具から
婦人バッグや財布、革小物の製造・販売へシフトしていく。
1935年、「サック・ア・クロア(sac-à-croire)」という、オータクロアのハンドバッグを発表。
オータクロアは、19世紀末から製造されていたが、これを台形のハンドバッグに変え、
縫い目を表に出すクージュ・セリエ製法を採用した。
37年、初めてスカーフのコレクションを発表。
スカーフのタイトルは「カレ・モムニバスゲームと白い貴婦人」。
45年より「四輪馬車と従者」の商標が使われ出す。
55年、モナコ王妃グレース・ケリーが「サック・ア・クロア」で妊娠していたお腹を隠していたことから、
「サック・ア・クロア」を「ケリーバッグ」と呼ぶようになる。
エルメスと言えば多くの人が思い浮かべるのが、鮮やかでありながら深みも感じさせるオレンジと
そこに描かれた馬車と従者かもしれない。
この現在も使われているロゴが誕生したのは、1945年。「デュックとタイガー(=四輪馬車と従者)」
と呼ばれているこのモチーフに、エルメスの哲学が隠されていることはあまり知られていない
馬車と馬、そして従者が描かれているものの、肝心の主人がいません。
このロゴマークでは、「従者=職人」「馬=ブランド」「馬車=ブランドアイテム」をそれぞれ表しており、
「エルメスというブランドの下で職人が作り上げた、最高品質のアイテムをお客様に提供する」
という構図を表しているのだという。
アイテムを使うお客さまこそが、ロゴに描かれていない「主人」
エルメスができることは、ただ最高品質のアイテムを提供するということのみ。
そこに最終的な価値を見出し、享受するのは他でもないお客様自身である、という首尾一貫した姿勢。
そんな哲学が、さりげなくこのロゴマークには示されています。
そしてエルメスのシンボルカラーである、深みのあるオレンジ色。
初期のエルメスの包装紙には、薄いベージュが使われていたそうです。
それがオレンジへと変わったきっかけは、第二次世界大戦。大戦中の物資の欠乏により
ベージュの包装紙を手に入れることが叶わず、偶然残っていたオレンジ色の紙を包装紙として
使用したことに端を発しているのだとか。
このオレンジの色が顧客の評判を呼び、のちにエルメスのシンボルカラーとして正式採用される
こととなったのだと伝えられている。
奥が深いこのブランドHermèsは一生価値あるブランドであることは、間違いないですね。