着物のコラム

木村雨山(きむらうざん)の着物と買取相場について

目次
加賀友禅で唯一の人間国宝【木村雨山】はどんな人物?
木村雨山の手掛ける着物の特徴
木村雨山の着物について
木村雨山の着物の事例
まとめ

加賀友禅で唯一の人間国宝【木村雨山】はどんな人物?

木村雨山は加賀友禅において人間国宝となった唯一の人物です。1891年(明治24年)石川県金沢市に生まれ、6歳上の兄に日本画家の木村杏園がいます。父は加賀藩が独自に発行した藩札(紙幣)を書く職人で、筆や文字に囲まれた環境で育ち、幼少期から絵の才能を発揮していたそうです。染織が盛んな金沢という土地柄もあり、物心ついた頃には職人になりたいと考えていたと言われています。高等小学校卒業後、当時名人と呼ばれていた加賀友禅染色家の上村雲嶂(上村松太郎)の門弟となりました。雨山の名は師匠である雲嶂の雲から雨を、嶂から山を取って名付けたとされています。

木村雨山は加賀友禅作家として有名ですが、実は、日本画家としての活躍もあります。布には友禅染めを、紙には日本画を描き、自然の息遣いをきものや紙に集約する天才でした。
日本画家である兄が師事していた大西金陽から日本画を学び、実の兄の作品からも多くの影響を受けていたと考えられます。兄、木村杏園は中国に渡り修練を積んだ実力派画家で、山水画を多く遺しています。

染織界での職人として、また日本画家としての顔を持ち、現在の日展(当時の帝展)で入選、特選等の受賞歴があります。海外では1938年のパリ万博で、銀賞を受賞しています。このパリ万博は約半年の間に3000万人以上が入場し、カネボウ、日本電気、日立製作所などの企業が受賞しており、ヨーロッパへ日本の技術や素晴らしさを伝えた万博でした。
数々の活躍があり、1955年に友禅で人間国宝に認定され、1965年紫綬褒章、1976年勲三等瑞宝章を受賞し、1977年に86歳で永眠しました。

木村雨山の手掛ける着物の特徴

木村雨山が手掛ける着物や帯の特徴は、小さな柄が集まり、全体で模様を成すような作品が多くみられます。花や葉などの植物が群生する姿全体での美を表現しているように感じられます。

加賀友禅は写実的に描かれることが特徴のひとつですが、景色をそのまま切り取ったというよりは、布に描かれた図案がまるで生きているかのような、何かしらの生命的な動きや強さ、勢いがみられます。その観察眼は離れたところから全体を捉えつつ、一枚一枚の葉や花びらに対しては究極に意識を寄せ、クローズアップするという、二つの視点を同時に備えた作品です。全国的に有名な『加賀友禅』ですが、木村雨山が1955年(昭和30年)に人間国宝に認定されるまでは知名度は低かったそうです。木村雨山が人間国宝に認定された後、全国に名が知れ渡り、1970年頃に加賀友禅のブームが訪れます。

加賀友禅の特徴・京友禅との違いとは?

加賀友禅は、加賀百万石と言われた前田家の趣味を強く反映しています。デザインは落ち着きがあり、写実的な図案が多く、武家風、同じ友禅でも金銀彩を多く含み都情緒を感じさせる京友禅と対照的です。

「加賀五彩」と呼ばれる藍・蘇芳・黄土・緑・墨の五色を基調とし、色の濃淡を含め五十色以上の色挿しが行われることが多いです。下絵を糸目糊という糊で伏せた後に色が混ざり合わないように染める為、糊を落とした後は線の部分が白または地色になります。色を挿した部分には暈しを使うことでデザインに陰影を出し、奥行きを感じさせるリアリティが高い仕上がりが特徴です。

また、『虫喰い』と呼ばれる葉が虫に食われた様子をそのまま模様として描くことも特徴です。そこには自然本来の生命の営みが含まれ、美しい部分だけを切り取ったものではなく、私たちが日々感じることができる全てをそのまま美しく思う心があらわれています。
友禅の名は扇絵師である宮崎友禅斎が祖という話が有名ですが、宮崎友禅斎はあくまでも扇絵師であり、デザインに関わっていたこと以外の詳細は明らかではないようです。

木村雨山の着物について

日本画で培った表現方法を染織の分野でも活かしていることが特徴的な木村雨山ですが、作品によって優しく全体的な温かみを感じるものもあれば、色の陰影をふんだんに使うことによって力強さ、着物の中の意匠がまるで動き出しそうな躍動感をもつものもあります。
一般的な加賀友禅に更に写実性とエネルギッシュさが上乗せされ、作品に魂がこもっていると感じさせるものが多いです。

また、デザインの面から言うと、全体的にひとつひとつの意匠を大きく大胆に表現したものと小さな植物などの集合体を着物や帯の全面にあしらうような作品とに分かれます。振袖においては、特にその双方の特徴を活かした全面にいきいきと木村雨山の世界が展開されており、人々を魅了し続けています。

木村雨山の着物の事例

買取の経緯
奥様の遺品整理で大切にされていたお着物や帯を沢山お持ち頂きました。

買取のポイント
亡くなられた奥さまがお持ちの帯でした。着物を整理している際に出てきたお品ということでした。未使用品であり、桐箱に丁寧に保管されていたこと、人間国宝である木村雨山の作品で現在市場の流通が非常に少ないことから高価買取となりました。

まとめ

現在は織元(織物の製造元)がデザインとして木村雨山の意匠を使い新しいものを生み出していますが、木村雨山が生前に染織に直接関わったものとは一線を画します。木村雨山が永眠してから約半世紀が経過し、ご本人が手掛けた作品で流通しているものは非常に希少になっています。

もし、木村雨山の着物や帯をお持ちで買取査定をご検討されている方は、ぜひ一度、査定依頼をしてみてはいかがでしょうか。買取専門店「ザ・ゴールド」では、査定士が一点一点丁寧に査定いたします。事前にお電話でのご相談も可能ですので、お気軽にお問い合わせください。

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